不登校と呼ばれている子どもたちがいますよね。学校に行っていない子どもたちを不登校と呼ぶのが、現状広く一般的な気がします。
学校に行っていないことをシンプルに表すだけの文字のはずなのに、なぜか「よくないこと」みたいな意味を押し付けられて来るように感じてしまうのは、私だけでしょうか。
不信感や不祥事、不良…。「不」が入っている字は、良くないことを表すときに使われることが多いせいかもしれません。(不思議や不死鳥などもありますが)
または「よくないこと」と思わせる「考え・感覚」が、多くの人に存在しているせいかもとも感じました。
「学校へ行かなければならない」という考えや感覚が、何の疑いもなく多くの人に根付いているから、不登校が「よくないこと」という感覚になってしまうのかも?!と最近思うのです。
何より大切なのは「学ぶこと」であり、学ぶための選択肢の一つとして「学校」があってもいいのでは?と思うのですが…!
「学校へ行かない(行けない)=勉強をする場所がない=学校へ行かない(行けない)ことが不利になる」現状を変えるためには、疑問を感じる個々の数が増えて大きな動きとなることで何かが変わる気がします。
教育への国の公的資金が増えたり、システム自体が変わっていったりすることで、より良い教育現場になっていくのではないでしょうか。
この記事では、そもそもなぜ私たちは「学校へ行かなければならない」と当たり前に疑いもなく思う・感じるのかについて、世界一の教育といわれるフィンランドの文献を参考にしながらまとめまていきます。
参考にした書籍は、岩竹美加子さんの『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』です。
同じような疑問を持つ方に届けばいいな~少しでも何かの役に立つといいな~
と願いながら文章を書いています。
今回の記事は、ざっくり以下の内容です。
- フィンランドに着目したきっかけ
- 不登校の数って増えてる!?
- 「学校へ行かなければならないという考え・感覚」を日本とフィンランドで比較
- オンラインスクールを数例ご紹介
「学ぶための選択肢の一つとして『学校』があってもいいのでは?」との観点から、オンラインスクールの情報もいくつか記載しています。
学ぶための選択肢の1つとして、他の候補と比較してみるのもいいかもしれません。無料体験を行っているところも多いので、ご自宅からオンラインレッスンを気軽に体験できると思います。
※当サイト「ゆきのこ広場」では私自身の体験や調べたこと等をもとに記事を執筆していますが、一部リンクにはアフィリエイト広告が含まれています。詳細事項はプライバシーポリシーと免責事項をご覧ください。
不登校とフィンランドに着目したきっかけ
今回のテーマに行き着いた話は、私の過去の話もあって長いので「日本とフィンランドの教育の違いを早く!」という方は目次から読みたい項目に飛んでください笑
テーマに行きついた経緯が伝わるかもしれないので、
もしお時間あれば読んでみてください~!
私は個別教室の塾で完全1対1の授業を小・中・高校生に向けて3年近く行っていた時期がありました。
勤めていた地元企業の塾は、自己肯定感をはぐくむことが大切だという考えで運営しているところでした。子どもたちの中には、様々な事情で学校に行きづらくなってしまった子たちも多く通っていました。
私の地元、宮城県は近年1000人あたりの中学生不登校生徒の割合の順位がずっと全国1位でした。個別教室勤務時代も、よく耳にしていた話題です。
2021年の統計だと中学生は全国8位になっています。(引用元「新しい学校選びガイドニュースク」:こちらのページは数が小・中・高に分かれていて見やすかったです。文部科学省のページは小・中学生が一緒の計上で高校だけ別になっており、グラフも細かく見づらかったです。)ちなみに宮城県の小学生は16位、高校生は4位です。
教育現場や育児、子どもたちに関わる全ての方はきっと、複雑な仕事も多く時間が常に足りない場合が多いと思います。他のさまざまな分野・現場で働く方の多くも同じだと思いますが、教育現場の忙しすぎる問題も深刻だと思います。
私は現在、結婚を機に転勤族となり教育現場を離れていますが、現場を離れたことで違う視点から見る身体と心の余裕ができた気がします。私は現場にいた当時、日々の業務でエネルギーが切れゆとりがなかったので…。
今回紹介したフィンランド教育の文献は、古本屋で違う本を探していたら見つけたものです。フィンランドにいる友人から現地の話を聞き興味を持ったことも、本が目に入った理由の一つかもしれません。
北欧では福祉も教育も発達していて、住んでいる方々の幸福度も高いと聞き何年も前から気になってはいました。日本の教育とは、どんな風に違うのかな?と気になることばかりでした。
気持ちとは裏腹に日々の業務に追われていると、私は目の前の業務でいっぱいになりがちで、考えを深める機会を作るのは難しかったです。
ご縁あって出会えた情報や得られた考えを少しでも発信することで、どこかで誰かが、気が楽になったり、何かの役に立ったりするかもしれない(しないかもしれないけど…笑)と思いながら書いています。
とにかく発信してみないことには何が起こるかわからないと思っています。
不登校に悩んでいるご自身、親御さん方、先生方や子どもたちに関わる全ての方に、少しでも何かのお役に立てたら嬉しいなーと心から思っています。
不登校の子どもの数は増えている?
統計やニュースから考える、不登校件数の増加
ニュースやネットの記事で、不登校について見聞きする方は多いのではないでしょうか。
文部科学省の『令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要』によると、2021年度は小・中学校における不登校児童生徒数は196,127人(前年度181,272人)であり,前年度から14,855人(8.2%)増加しているとのこと。
不登校児童生徒数は8年連続で増加しているらしいです。
別な話になりますが、小・中・高等学校から報告のあった自殺で亡くなった児童生徒数は415人(前年度317人)で,調査開始以降最多となっているそうです。心が痛みます。
朝日新聞のニュースによると「警視庁の統計では昨年度の小中高校生の自殺者は507人(暫定含む)で、学校側が把握できていないケースもあるとみられる」との情報もありました。
学校現場の先生方は、コロナの対応や急速に進むデジタル化の影響があり、今まで以上に忙しくなってしまっているのではないでしょうか。
先生によって、また環境によって違うとは思いますが、子どもたちを心配する気持ちとは裏腹に、一人一人とじっくり関わることが難しい事態も多発しているのではないでしょうか。
先生方も人間ですし、無理が重なれば身体が壊れてしまいます。どうか無理しないでほしいと願わずにはいられませんが、現状は無理しないと状況が乗り越えられない場面も多々あるのではないでしょうか。
今の日本の教育現場は、子どもたちにも先生方にも、厳しい状況が多くなりがちな現場のような気がしてなりません。
インターネットでの検索ワード数から考える、不登校件数の増加
グラフを見ると、不登校の検索件数は右肩上がりで数値が増えています。同時にフリースクールの検索数も、少しだけ増加傾向になっています。
不登校という言葉の検索数は、意外にも2019年5月にグッと伸びていました。
その当時日本では、平成から令和に年号が変わり、祝賀の明るい雰囲気になっていた頃ですね。ゴールデンウイークもいつもより長かったと記憶しています。
反動で学校に行きづらい方が増えたため検索する方も増えたという事でしょうか。
2020年4月は、グッと数値が落ちています。コロナの影響で多くの学校が休校になっていた時期です。
不登校の言葉の検索数は、実際の不登校件数と似たような動きをしているのかもしれません。
周りに情報が少なかったり頼る方が少なかったりして、ネットで調べる必要が出てきてしまっている状況もあるのではないでしょうか。(ネットが普及して気軽に検索できるようになった時代背景もあるかもですが)
フィンランドと日本を比較。不登校を生み出すのは「学校に行かなければならないという考えや感覚」?!
日本中で不登校の子どもたちが年々増えていることが分かりました。
少子化で子どもの数は減っているはずなのに、不登校の子どもたちは、なぜ年々増え続けているのでしょうか。
「学校という場所が重要で(学ぶ云々よりも)学校という場所へ必ず行かなければならない」
私は不登校の子どもたちが増えている理由・原因として考えられる可能性の一つとして、上に書いたような考えや感覚を、何の疑いもなく多くの人が持っているせいなのでは…?!と考えるようになりました。
日本の教育について(学校に行くこと・学ぶことについて)
日本の教育から見ていこうと思います。
学校に行くことについて
100年以上変わらない教育スタイル
日本教育のやり方は、ほぼ100年変わっていないといわれています。細かい変化はもちろんあると思いますが、ここでいうやり方とは「全国的、統一的な教育計画とその実施」にこだわるやり方のことです。
江戸時代後期には、幕府や諸藩が領内に設けた学校と寺子屋、私塾等が相当整備されていた。
引用元:我が国の学校教育制度の歴史について
このことが学制による全国的、統一的な教育計画とその実施の素地となった。
こちらの引用元の情報は、平成24年(2012年)に学制百年を記念して作成されたもの。
「全国的、統一的な教育計画とその実施の素地となった」、つまりこれ、今も現役で行われている教育体制のことですよね。当時の体制でそのまま、100年、ほぼ変わってないということになりますね。
100年以上変わっていない教育のやり方って、期間長すぎてびっくり!
一方で時代はこの100年で、急速に変化していますよね…?
ざっくり言うと「学校教育法」の方では、学校は行かなければならない・行かせなければならないと定められています。
ただし「保護者は子どもを就学させる義務はある」けれど、様々な理由で難しい場合はその義務は「猶予又は免除される」場合がある。
「猶予又は免除される」場合は、保護者は市町村の教育委員会に「医師その他の者の証明書」や「証するに足る書類」を添えなければならないとのこと。(大げさな…めっちゃ手間かかるじゃん…と個人的には感じてしまいます。大事なのは学校という場所に行くか行かないかの理由よりも、子ども自身が学び続けられるにはどうしたらいいのかという部分なのでは…?!)
以下の法律から抜粋してまとめたつもりです。
しかし法律ってなんでこうも見にくいんだろう…文章を理解しようとするだけで疲れる笑
近年新しい法律ができ「必ずしも学校に限らず多様な施設で学ぶことはできる」となった。選択肢は増えつつあるが現状はあまり変わっていないかも…?
増え続ける不登校の子どもたちの数の多さに、さすがに何かしら変えていかないとやばいと感じたのか、重い腰を上げた政府は新しい「法律」を作ったようです(あくまで私個人の気持ちと感想を込めた情報です)
義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律
「法律」なので、学校教育法と同等の力があると考えていいのでしょうか?(調べましたが法律に詳しくなく…仕組み難しい!誰かに教えてほしい…)
この「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(以下、「機会確保等に関する法律」と呼びます長いので)は、2016年(平成28年)に整備されたようです。
ざっくり言うと「不登校の子どもたちが教育を受けられる場所や機会を整備していきましょう!そうするにはこんなことを、これからやっていけたらいいなあと思っていますよ!みんな努力してみてね!」という感じの法律だと思います(あくまで私個人の気持ちと感想を込めた情報です(2回目))
(不登校の子どもたち以外の対象もありますが、ざっくりなので許してください、詳しくは法律を見てみてください、でも法律の文章分かりにくい…(2回目))
その中で「お!でも…?」と感じた部分を抜粋します。
(学習支援を行う教育施設の整備等)
第十一条 国及び地方公共団体は、不登校児童生徒の学習活動に対する支援を行う公立の教育施設の整備及び当該支援を行う公立の教育施設における教育の充実のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
引用元:文部科学省 別添3 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年法律第105号)
つまり一般的な公立小学校・中学校以外にも、公的な施設がこれから整備されていくということでしょうか。公的な教育への費用投資の割合が増えるという事でしょうか。
法律ができてから今年2022年で7年経っていますが、現状どうなっているのかはっきりとしたことは分かりませんが(すみません)あまり変化なく進んでいないのでは?「努めるものとする」だからなのかな?とも思いますが…。
個人的には、なぜ不登校の子どもたちが増えているのか、根本的な原因を探っていかないといけない・教育システムを大きく変えていかないといけない時期が来ているのではないのかと感じてしまいますが、どうなのでしょうか。
なんたって100年以上も、同じ感じの教育システムだからね…
近年できた「機会確保等に関する法律」によると「学校へは行かなきゃダメ?」に対する返答は「必ずしも学校に限らず、多様な施設で学ぶことはできるよ!」なのではないでしょうか。
一方「この法律のために不登校と呼ばれる子どもたちの数が増えている」という意見もあるかもしれませんが、その事態は避けるべきでは?と考えます。
なぜならこの法律がまだそれほど浸透していないと感じるからです。
「学校行かなくても、他のところで学ぶことができるから大丈夫だよ☆」くらいの感覚になれるまで、この法律は広く浸透しているでしょうか。
そもそもこの「機会確保等に関する法律」があまり浸透しておらず「小学校・中学校にかならず行かなければならない」という考えや感覚が多くの方々に存在するから「不登校」という名前や概念が存在し続けており、色々苦しい状況が生じてしまう場合が多いから数が増え続けているのでは。
まあ、そもそもの、そもそも、この法律自体が「小学校と中学校は必ず行くべき場所だけどね、でも行けないならしょうがないよね、じゃあそれだと教育受けられなくなってヤバいからさ、ねぇみんな!教育の機会が確保できるように努力してね!」って感じがあるのも否めないですが…(あくまで私個人の気持ちと感想を込めた情報です(3回目))
少なくとも「学校は行かなければいけない場所」から「学校に行かなきゃだけどでもどうしても行くの難しかったら無理しなくてもほかの場所で学ぶという手も一応あるよ」位な感覚に世の中の感覚は少しは変わってきているのかなぁと、筆者は個人的に想像しています。あくまで個人的にですが…
不登校を「不登校問題」と言ってみたり、「不登校児の数を減らす」と言ってみたり、そのような表現を数多く見かけます。
子ども自身の学ぶことがどうこうという事よりも、むしろ「小学校・中学校は行くべき場所」という考えが強いという根本は変化しておらず、行かなきゃいけない学校に行けない子どもを減らさなきゃという感覚があるから「不登校問題」「不登校児の数を減らす」という言葉になるのかなと想像します。
一方で言葉は変化していくものだと思うので、一概に私が考えているような状況とも限りませんが。
しかし「小学校・中学校は行くべき場所」という考えが強いという状況が変化していると私は思えないので、それでは「機会確保等に関する法律」が機能しているとは言えないのでは?
「機会確保等に関する法律」の効果もあって不登校と呼ばれる子どもたちの数が増えていると言って良いのでしょうか。
学校以外で気軽に行ける公的教育施設、身近にありますか。またはホームスクールやフリースクールは気軽ですか。金銭面的にも。
近年広まっているフリースクールは、通っている方たちの月謝で運営しなければならないところも多いと聞きます。
フリースクールで素晴らしい教育を提供していても、運営する側・通う側で金銭的に負担があるようでは、希望する教育の提供・通うことを継続していくのが難しい状況も起きやすいのではないでしょうか。
学ぶことについて
前の項目では「学校へ行くということについて」をまとめましたが今度は「学ぶということについて」です。
「公立小学校・中学校で現状行われている評価方法」が原因で「学ぶ・勉強する」ことに対する考えや感覚が「楽しくない・義務的なもの」となっている?
「学ぶ、勉強する」とは?
おそらく多くの方が「たくさんの新しい事を覚えて、テストで覚えたことを書いて、正解して高得点を取るためにやらなければならないこと」のように答える気がします。
そう答えないにしても実際のところ、公立学校での評価方法は基本的に「テストの点数で(授業態度も含まれると思いますがほんの少しですよね)ランク分けする、1~5を付けなければならない」ようになっていると思うので、義務教育を受けるにあたり上記のように考えざるを得ない状況は多いのではないでしょうか。
評価の基準が、ものさしが、一つしかないと感じます。
「本来の学ぶ・勉強する楽しさ」から遠ざけてしまう危険性がある気がしますが、そう思うのは私だけでしょうか。
「本来の学ぶ・勉強する楽しさ」は、新しいことを知って、自分の興味あることと結び付けて「そうなんだ!」と感動したり、新しいことを生み出したり、創り出したり、困難な局面を想像力や発想で乗り越えて達成感を得たり、人を助けたり、役に立ったり…。
1つの事象や物事に対して、必ずしも1つの答えが正解とは限りませんよね。むしろ1つの事象や物事に対して「こうかな?違うかな?これはどうかな?」と、失敗や発想の転換を繰り返して、思考を繰り返して色々と考えていくからこそ発展・発達が存在するのではないでしょうか。
私の発想も限られていると思いますが、そんな感じではないですか?
新しいことをたくさん覚えて知っていて、テストで暗記内容を書けることが学ぶこと、すごいこと、評価される事。
人はだれしも評価されて認められたい欲求があるのが基本だと思います。認められたい欲求を満たす方法が、テストの点数や通信表が大きく占めているのでは「本来の学ぶ・勉強する楽しさ」を無くしてしまうどころか、「自己肯定感や幸福度」が低くなるのも無理はないのではないでしょうか。
いくら法律を少しずつ変えるとはいえ、根っこの「学ぶ・勉強する」に対する考えや感覚が変わらなければ、現状を大きく変えるのは難しいと私は感じてしまいます…
「学ぶ・勉強する」に対する、多くの方々が抱いている考えや感覚。
これが変わらない原因は「公立小学校・中学校で現状行われている評価方法」だと感じます。
「公立小学校・中学校で現状行われている評価方法」によって、「学ぶ・勉強する」ことに対する考えや感覚が「楽しくない・自己肯定感が低くなる」になりがちだから、そもそもそんな場所に行きたくないと感じ(たとえほかに理由があっても無意識にそう感じているのでは?)「不登校と呼ばれている状況」になってしまう。「行かなければならない」と義務的に感じているというのも、一つの原因になっているのではないでしょうか。
この「公立小学校・中学校で現状行われている評価方法」が、不登校と呼ばれる子どもたちの数が増えている、根っこの原因の1つになっているのでは?
私なら、楽しくなくて自己肯定感が低められるような場所に行きたいなんて到底思えません。
ちなみに自己肯定感の記事もあります。
自己肯定感が低いと感じて悩んでいる方、多いと思います。悩んでいる方の一つの道として、ヒントになれば幸いです。
自己肯定感が「高すぎる」と言われて悩んでいる方にも、是非読んでみて頂きたい記事だと思います。
話は戻りますが、今の評価方法で評価が高い方たち(いわゆる勉強ができると呼ばれる方たち)は、学ぶことや勉強は行うほど認められるから楽しいと感じ、学校に進んで行きたいと思う傾向が強いかもしれません。
一方で今の評価方法で評価が低い方たち(いわゆる勉強ができないとされる方たち)は、学ぶことや勉強が目的ではなく、そのほかの理由で学校に行っているのかもしれません。
もしくは、義務感で。行かなければならないから行く。受け身の姿勢のように感じてしまいます。それ以上の思考は考えても仕方がない、現状が変わるわけがないと、諦めて思考停止に陥ってしまうのかもしれません。思考停止の上で義務的に日々をこなしていく道を選ぶか、行きたくないと主張して行かない道を選ぶか。義務的に日々をこなしたとしても、もちろん得られる学びや経験はあると思いますが。
行かないと主張して学校に行かない道を選ぶことも、エネルギーのいる事ですよね。
甘えや怠けた気持ちで不登校になるのではなく、踏ん張って頑張って、自分を守るために行かない選択をする。勇気のいる行動だと思います。なぜ、そのような方たちが委縮する必要があるのでしょうか?私は甚だ疑問に感じます。
不登校が問題なのではなく、本当に問題なのは、現状の公立小学校や中学校の子どもたちに対する学力の評価方法や、評価方法に基づく学習方法・学びに対する根本的な考え方だと私は考えています。
「学ぶ・勉強すること」の楽しさとは、かけ離れている方向に導いてしまう場合があるように感じます。
現状の評価方法と自己肯定感の関係
テストで問われていることに対して、一つの正解があるということは、つまり間違いがあるということになりますね。もちろん記述の問題も増えていると思いますが、評価を付ける以上、回答が存在し、採点されると思います。
基本はテストとなると、覚えている知識が正しいものなのかどうかを確かめるための、一つの答えになることが多いと思います。
子どもたちにとって(私や、いま日本に生きている多くの方々にとっても)そのようなテストを受け評価を付けられ続けることは、つまり「間違えないようにしなければならないという意識」を植えつけられることになると思いますが、いかがでしょうか。
また、正解だけを追い求める姿勢、これは、間違えが存在するという意識が芽生えることで、自己肯定感を低めてしまう姿勢にもつながってしまうと思うのですが、どうなのでしょう。
本来、学校の外に出て人生の様々な局面で選択を行っていく時、一つだけの正解が存在しているようなものなのでしょうか?
一つの正解だけがある世の中なら、こんな苦労はない!と思っている方も、実は多いのでは…?
実際、正解が一つの場合もあるかもしれませんが、計算の答えとか(ざっくりしてますが)
歴史や国語などの答えも一つ(単語を暗記させるなどの方法が多いですよね)で、テストの答えとして暗記した内容ばかり求められることはどうなのかなと、一個人として思うわけです。音楽や図工・美術などのテストも同様です。
点数で比較して評価を付けて本人に提示しないといけないから、基準がばらばらだと成り立たないから、明確な基準が必要になってしまう。
もう、暗記メインのテスト、やめませんか?テストの点数で成績つけるの、やめませんか。テストは、正解不正解を超えて「自分の意見はどうなのか考える、アウトプットする」機会にしませんか。そう願わずにはいられません。
考えを深める機会を教育機関が創っていかないと、暗記がメインでは、質のいい教育の提供は難しいのではないでしょうか。
フィンランドに住む日本人の友人が言っていましたが「日本とフィンランドの教育、詳しいことは分からないけど、明確なのは『考えを深める機会の多さが、圧倒的に違う』と感じる」とのことです。
以下の自己肯定感の記事でも取り上げていますが、現状の教育内容はもっとより良くなるはずだと信じています。1日でも早く、より良く変わっていったらいいのになと、願うばかりです。
公立小学校・中学校の学力評価方法の、根本的な変化が求められる時が来ているのでは
学力に対する評価方法が大きく変われば、「学ぶ・勉強する」ことに対する考え方も大きく変わり、楽しく学んでいけるようになる人が増えるようになるかもしれません。
自然と自己肯定感が高い方たちが増えていき、幸福度が高い国と呼ばれるような日本に変わっていくのではないでしょうか。
学ぶことに対する認識が変わり、学校に限らず多様な方法で学び続ける方々が増え、学校に行かなければならないと考える必要もなくなり、不登校という概念すら無くなっていくのではないでしょうか。
フィンランドの教育について(学校に行くこと・学ぶことについて)
ここからはフィンランドの教育について、学校に行くということ、学ぶことについてまとめていきます。
学校に行くことについて
フィンランドでは、学校に行かなければならないという決まりがないそうです。学習する義務はあるのですが、学校に行く義務はない、とのこと。以下が本からの引用です。
フィンランドには学習義務はあるが、学校に行く義務はない。教育庁は、ホームページで次のように説明している。
フィンランドは、学校を強制していない。学習義務は、学習義務の学習量に相当する知識とスキルを得ることで、それは学校に行く以外の方法で満たすことができる。学校に行かないことに関して、行政からの許可は不要である。保護者が決定し、その後は、学習義務についての責任を持つ。教科書や他の教材を買う等の責任は、保護者に移行する。
引用元:岩竹美加子『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』
学校という場所にこだわるわけじゃなくて、
どんなふうに「学んでいくか」が大切にされているんだね
学校に何らかの理由で通うのが難しい場合は、何の手続きもなしに、保護者の判断で学校へ行かない選択ができるという事ですね。
子どもの学習義務を果たす責任は、教師から保護者に移るわけですが、自治体がサービス等を提供することもできるようです。
学校へ行かない場合、ホームスクールやネットで学ぶようになるそうですが、人数はそう多くはないようです。
2018年、ヘルシンキに隣接するヴァンター市では、2万2000人の小中学生のうち29人がホームスクールで学んでいるという。また、全国的には、約300人がホームスクールやネットで学んでいるという。
引用元:岩竹美加子『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』
フィンランドでは公共の教育が充実しています。教科書や一通りの教材、給食、通学の援助などを無償で受けられるのです。
また、入学式や行事もほとんどないそうです。
無償で教材がもらえて給食も食べられて、行事もないのであれば、学校はいつ行ったとしても、学ぶことがメインの気軽な場所になるのではないでしょうか?
学校が気軽な学ぶ場所なら、わざわざホームスクールを選択する理由は少ないように感じます。ホームスクールを選ぶケースの一例も引用しておきます。
ホームスクールを選ぶ理由は、様々である。2018年5月に、保護者組織である「親達の同盟」にインタビューしたところでは、教育方針や哲学が合わない、学校の教育は画一的すぎる、家庭と学校の間に何か問題がある、天才的な才能がある子どもで、学校に向かない、外国勤務の間、子どもは家で勉強する、或いは、他のさまざまな理由から、学校に行かないケースがあるとのことだった。宗教的理由の場合もある。フィンランドの教育は反キリスト教的だと考える保護者、学校の教育とは相容れない信条を持つ保護者もいる。
引用元:岩竹美加子『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』
ホームスクールを選ぶ人が多いか少ないかが問題ではなく、ホームスクールを気軽に選ぶことができる、選択肢が用意されているということが大きなことじゃないかなーと思っています。
参考にしている本によると、フィンランドには「ネットの学校」も複数あるとのことです。
また日本の先生方も、フィンランドのような学校の仕組みであれば、現状以上に日々の授業内容の工夫にエネルギーを注ぐことができるようになるのではないでしょうか。
現状では、行事の準備や計画、不登校の児童生徒の対応にも多くの時間が割かれていると思います。
フィンランドのような仕組みなら、学校に来ない子どもたちの対応や事務手続き等もないのですから、シンプルに一番大切な事である「子どもたちの学習状況の把握」に努めることが可能になるのではないでしょうか。
日本のように、学校に来ない子どもたちはまず「学校に来させなければならない」と考える必要がないわけですからね。
学ぶことについて
フィンランドでは、どのようにして学んでいくのかを学んでいく(言い方がややこしい笑)のが義務教育と言えるのではないでしょうか。引用を用いて意見を述べていきます。
Finnish National Agency for Education(フィンランド国立教育研究所)が発行している「フィンランドの教育概要」は、なんと日本語のものもありました。ウェブサイトで見ることが可能です。以下がそこからの引用です。
基礎教育での課題のひとつは生徒それぞれが、自己評価できるよう育成すること。知の発達や自己スキルの成長を自覚する手がかりをもたせ、自分の上達や学習プロセスに意識的にさせられるようにというのが狙いである。
引用元:Finnish National Agency for Education「フィンランド教育概要」
上記引用箇所の基礎教育とは、同じく「フィンランドの教育概要」によると「基礎教育は子供が7歳になったときから始まり9年続く」と記載があるので、日本でいう義務教育と同義と考えます。
「自己評価できるように育成する」「自分の上達や学習プロセスに意識的にさせる」これはつまり、自分で学びを行っていく際のやり方学んでいく、と言えるのではないでしょうか。
フィンランドでは、学びは終わりがなく生涯を通して行っていかれるものとされています(「フィンランドの教育概要」にも記載があり「子供の早期および基礎教育を生涯学習の一部ととらえる」と明記されています)。
基礎教育(日本でいう義務教育の時期)では、生涯の学びを築く、基礎の時期。フィンランドではその大切な時期に、どのように学んでいくのかという学び方も学んでいるのですね。
日本のように、知識を詰め込み確認のテストで競わされ、その結果が評価に直結するやり方とは大きく異なっているように感じます。
不登校の概念なくしたい。オンラインスクール等の情報(一部)
私の意見は「大切なのは学ぶことが楽しいと感じる」ことだと思っています。「学校に行くことがとにかく1番でやみくもに『学校に行きなさい!』と伝えていく」のではない、と強く思います。
楽しく学び続けられる環境との出会いやきっかけが少しでも増えればいいなという思いから、自宅からも気軽に参加できるオンラインスクールの情報をいくつか記載します。
無料体験を行っている場所が多いので、気軽にいくつか参加してみるのも楽しいかもしれません。最初はなかなか気軽にとはいかないかもしれませんが、出向いたりせず、自宅からオンラインで参加出来るのであれば始めやすいように思います。
楽しく学び続けるための場所として、相性が良さそうなところや気になるところがあれば、ぜひ無料体験レッスンなど試してみてくださいね。たとえ合わない場所だったとしても、新たな発見や気づきがあり、今後に生きてくる経験の収穫になる可能性もあると思います。
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不登校の概念なくしたい。フィンランド&日本の教育比較まとめ
不登校という概念をなくしたい思いで、日本とフィンランドを比較し「学校へ行くこと」「学ぶこと」についてまとめながら私の考えを述べてきました。
今すぐ日本の教育が変わるかと言ったら、それは難しいと思います。100年以上も変わってないですし笑
必ずしも日本の教育が悪いから全部フィンランドのようにするべき!と思っているわけではありません。勤勉さや誠実さ、まじめさといった日本人の良いと言われているところは、教育から出来上がっているのではないか?と感じているところもあるので。
ただ大きく変えていかないといけない時代に来ているのではないかなと、一個人として感じている想いを書いています。溜まった水はよどんでいくだけですが、動きのある水は腐らず新鮮でいられるように、柔軟に変化していける教育システムって素敵な気がするのです。
もし学校関係で苦しい想いをしている方がいるとしたら、フィンランドのような教育システムにもし自分がいたとしたら?と考えてみたり、日本の教育とフィンランドの教育の違いを知ったりすることで、何かほんの少しでも気持ちが楽になったりしたらいいなー…と思っています。
「学ぶための選択肢の一つとして『学校』があってもいいのでは?」との観点から、オンラインスクール等の違う環境で学んでみるのも1つの手だと考えます。気軽に無料で体験してみると何か得られるものがあるかもしれません。
私の意見は、学校に行くことが大切なのではなく、学ぶことが楽しいと感じることが何より大切だということです。本来誰しも、興味のあることを掘り下げたり、新しいことを知ること・学ぶことは楽しいはずなのでは?
学びが楽しいと感じるためには、自分を興味深く観察し自分の興味のあることや「面白い!」とワクワクし、ググっ!と感じることは何に対してなのか、まず気が付くことではないでしょうか。
自分の興味の向かう先に気が付くためには、色々なことに足を突っ込んでみることが近道なのでは?
これは違うな?ということもあると思います。失敗したなーと感じることもあるかも。でも失敗したなーと感じるということは、やってみた!という証拠なので、それだけで収穫があったということだと思うのです。失敗は本来、大歓迎なもの。チャレンジした証であり、自分が目指すところへ近づいているという事だと思います。
つたない文章でしたが、最後まで読んでくださった方がいたとしたら、ありがとうございます。
不登校の概念なくしたい。フィンランド&日本の教育比較:追記(2024年5月)「学びの多様化学校」について
令和5年3月に文部科学省によって示された「COCOROプラン」によって、「学びの多様化学校」やフリースクールへの公的補助などが自治体ごとに展開されてきているようです。
「学びの多様化学校」は今後全国で300校の設置が目指されているそうなのですが、現状では全国で24校(2024年5月調査時の数字)ほどの数しかないようです。
私の住んでいる宮城県では白石市に「白石きぼう学園」という「学びの多様化学校」が昨年2023年に誕生していたようで、広く見学等を受け入れているそうです。
私も実際に見学へ行けた際には、こちらで情報をシェアできましたら幸いです^^
また科目等履修生の制度を利用して教育行政について学んでいけたらと考えているので(私の拙い知識を補強したかったのです…!)今後記事にまとめていけたらと思います。皆様に何かお役に立てることがありましたら幸いです。引き続きよろしくお願いいたします!
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